2018年02月18日

2018年2月18日「複雑な問題は単純に解け」ルカ9章10-17節音声で聴く。

ルカ9:1−17 「複雑な問題は単純に解け

【序】数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞した広中平祐氏は「複雑な現象は単純な事実の投影に過ぎない」と言い、どんな難しい数学の問題でも単純化して解いたと言われる…日常で次々と問題が出てもつれて複雑化して苦しむことがある。そんな時、勧めたい解決法は物事を「単純化」することである。どういう事か、今日の聖書の言葉から伝えたい


T.現実の問題は聖書の応用問題である

群衆キリストの説教を時間を忘れるほどきいっていたが、弟子達は群衆の食事がない事に気づきキリストに伝えた。すると主は「あなた方で何か食べるものをあげなさい」(13)と言われた。これは弟子答えを考えさせた課題であった

【適用】私達も現実に様々な問題にぶつかるが、それは降って湧いた事柄ではなく、私たちが普段読み聞聖書の応用問題なのである。つまり今までこの世の知恵だけで行動してきたあり方から、聖書による知恵によって生きるあり方を学ぶ応用問題なのである。


U問題を複雑化すると否定的な答えに縛られる

もしあなたがこの時の幹事ならどうだろう?男だけでも5千人。女子供を加えれば数万人、パンは幾ついる?お金は幾ら必要?どこで調達?文句が出ないか?…果てしなく問題が複雑化し悩むのではないか?弟子達の出した答え「五つのパンと二匹の魚のほか何もありません」(13)ヨハネ6:9では「それが何になりましょう」く。問題を複雑化すると否定的な思いに捉えられ答えが出ない弟子達の言葉が祝福をストップさせる。

【適用】皆さんの中にも「これで何ができるこんな能力のない私が何になるこんな年が行って何ができる? お金ないのにができる!そう思っている人はいないか?見た目だけの計算で無理、無理」と判断する。本当は祝福の始まりなのに出口と錯覚しているのだ


V.最高の答えは問題をキリストに握って頂く単純化にある

弟子達の考えの様にパンの数やお金の額や人数と言ったあれこれで複雑化するではなく生活の糧の鍵を一切握る神の手に委ねという単純な答えこそが最高の答えなのである→「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り天を見上げて祝福し」(16)

その時、パンは増え数万人が満腹した。奇跡が起こったのである。

素晴らしい事はキリストは弟子達が否定的答えを出した五つのパンと二匹の魚を用いられたという事だ。同じものでも見る人によって全く結果は異なるのだ

【証】ゼロからの開拓伝道で建物もみすぼらしく条件の悪い伝道を数えて嘆いていたが、嘆きを辞めた。小学校の体育館で「塩狩峠」を上映したらと考え行動した。最初は役所の規制にかかって苦労したが、「三浦綾子友の会」を作り乗り越えた。250名集まりチャリティで寄付もできた。

結び】私たちの能力は小さいかもしれない、お金僅かかもしれない。しかしそんな私たちをそのままキリストに捧げてお使いくださいと主の手に握って頂くならば無尽蔵の祝福が始まるのだ。

posted by kbcc at 11:04| 礼拝

2018年02月11日

2018年2月11日「恵みに手遅れはない」ルカ8章40-42,49-56節音声で聴く。

ルカ8:40-42,49-56 「恵に手遅れはない 18.2.11

【序】私達は何事にも遅れをとるのが嫌で先に先にやっておきたいと思う。でも現実には後れを取る事も多く、時を逸して万事休すと思ってしまう訳だが、人生にはその遅れがなければ素晴らしい恵が体験できない事がある。知ってほしい事は、人生には遅れがあるかもしれないが、恵には遅れがないのだ。今日の聖書は正にそれを教えてくれる


T.会堂管理者が経験した二つの手遅れ

会堂管理者ヤイロに12才の一人娘がいた。「蝶よ花よ」と可愛がられた事だろう。しかし悲劇が襲う。「病で死にかけていた(42)のだ。そこで彼はキリストに来てもらうように助けを求めた。しかし事が上手く運ばず二つの「遅れ」を経験した

1.キリストに来てもらう途中で長血を患う婦人がキリストに癒しを求め、それで時間を使ったため、会堂管理者の家に行くのが遅くなってしまったのだ。

2.キリストが神の御子で全てをご存じなら、娘がどんな病気なのかご存じの筈。それなのに死んでしまってから到着とは!これこそ最大の手遅れ!

想定外の遅れや、神の助けの遅れが私達の人生を襲い、信仰も試される。



U.手遅れを経験した時の問題

 それは、手遅れのために絶望して神に求めることを止めてしまう事→「もう先生を煩わせることはありません」(49)自分の小さな判断や経験で早まった結論を出し早めに切り上げてしまうのだ。多くの人が陥る問題は、自分で考えた計算だけで判断し、神を計算に入れないという事だ。それで神に期待するのを諦めてしまう。しかし神には不可能はないのだ。あなたももう手遅れと諦めていることはないか?!


V.手遅れを超える恵

人生に手遅れの事態は起こるが恵みが手遅れになる事はないのだ。ヤイロの娘が死んで彼は絶望にあった。絶望というのは自分の未来に希望が無くなる恐れである。だからキリストは言われた「恐れないで、ただ信じなさい」(50)励まし「子供よ。起きなさい」(54)と語りかけ子供を生き返らせてくださった。キリストには死でさえ手遅れではなく絶望でもないのだ。多くの人は「死が絶望だ」と思うが、むしろ反対で「絶望こそが死」なのだ。キリストは絶望を変えて希望をお与えになる権威と力をお持ちなのである。人は年を取れば取るほど永遠の命の希望が近づくのである。配偶者に先立たれようと、一人侘びしく死のうと、病で死のうと寝たきりで死のうと、天国の希望は大きくなるのだ。人は病気に負けて死ぬのではない。神の時が来て神の国でその人が必要だから召されるのだ。

 【結び】人生は後れを取ったが、恵に手遅れはなかったピアニストのフジ子・ヘミングの証…

(次頁参照)

ジ子へミングというピアニストの証…彼女は若い頃から天才的ピアニストと言われながら、実際にデビューしたのは1998年で60歳を過ぎてからだった。ドイツに留学し有名な指揮者バーンシュタインに認められ華々しいデビューの機会が与えられたが、風邪をこじらせ全く耳が聞こえなり演奏会は中止。次第に音楽界からは忘れられていった。95年母の死で日本に戻り、96年聖路加病院のロビーでボランティアとして患者さんのためにピアノを弾くだけになっており、もう自分の人生はこれで終わりと思っていたが、事実は違った。彼女がボランティアで聖路加病院のロビーでピアノ演奏をしているのをNHKのディレクターがそこを通りインタビュを試み、この人の番組を作ろうと思い立った。そして「フジ子・あるピアニストの軌跡」という番組を制作し、その中でリストの難曲と言われる「ラ・カンパネラ」を弾いた。すると全国からNHKに電話が殺到した「あの演奏家は誰ですか。今まで見た事も聞いたこともない!」と。れで彼女のCDが作られ、クラシック界では記録を塗り替える54万枚が売られた。その後国際的な舞台で活躍し今日に至っている。彼女は「どうしてもっと早くこの時が来なかったのか、と思ったことがありますが、今がその時だと思います。それまでの不遇の生活を支えたのは聖書の言葉でした」

もし遅くなってもそれを待て。それは必ず来る。遅れることはない」(ハバクク2:3

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posted by kbcc at 22:16| 礼拝

2018年02月04日

2018年2月4日礼拝メッセージ「人生の嵐に悩む時」ルカ8章22−25節音声で聴く。

ルカ8:22−25「人生の嵐に悩む時18.2.4

【序】人生には予期しない嵐がやってくる。家族の事、人間関係の事、健康面の事、職場の事、経済の事…その時慌てふためいてしまう私たちだが、そんな中で一緒にいて鎮めるお方を見いだせたら、どんな心強いか。そんな方がおられる!伝えたい。


T.知恵や経験が通用しない人生の嵐がある

弟子達がキリストと舟でリラヤ湖の向こう岸に渡ろうとしてい予期しない

突風が吹きおろしてきて忽ち湖は嵐になり「水をかぶって危険になった」(23)

弟子達はこの湖で育った根っからの漁師だったが慌てふためき「先生、先生」(24)

と二度も主を呼ぶ程のパニック状態!正に知恵も経験も通用しなかったのだ。

【適用】私達の人生にも人間の力も通用しない人生の嵐がある。家族や健康、仕事や経済…更には、心の中不安恐れ怒り憎しみの嵐を一つも鎮められないではないか。自分に頼らない事だ!


U.人生の嵐に必要なものは何か

キリストが弟子達に「あなたがたの信仰はどこにあるのです」(25)と言われた様に、人生の嵐に必要なのは「神への信仰」である。実はなぜ私たちが人生の嵐に会うかという理由がここにある。人生の嵐には知恵も経験も通用しない中でそのに必要なのは嵐を支配し万事えるへの信仰なのだという事を知るためにあるキリストが弟子達にこの旅をさせたのも(22)、この信仰を持ってほしいとの願いがあったからだ。ではもう少し掘り下げて神への信仰について考えると:

1.自分の将来を小さな判断で決めない

弟子達「溺れて死にそうです」(8:24)と言生き死には神の手の中にあるのに、小さな判断で自分の将来を勝手に決めてしまうところにパニック原因がある

2.神の顧みがないと僻んで決めない

マルコ4:38には「何とも思われないのですかとある。自分たちのことを顧みられていないというすねた見方をしない事だ


V.人生の嵐を沈められるキリスト

主は「嵐と波を叱りつけて、風もおさまり凪」(24)になった

私達はこの奇跡に驚くが天地万物は神の作品。私たちも自分の作った作品を意のままにできるように、大自然も神の御子の御手で意のままにできるに不思議はない。

感謝な事はキリストは、嵐に慌てふためく弟子達と同じ舟に乗り風を叱り嵐を鎮めてくださった。弟子達を叱られたのではなく風を叱られた。

【適用】弟子達も私達も人生で直面し、何度も慌てふためくが、そんな私達を裁かず、苦難の時に共に同じ人生の舟に乗り信仰を教えてくださる主に感謝!

主はく「思い煩うな」と言われたが、「心配などどこ吹く風という人よりも嵐に慌てふためいてしまう人の方が仰り甲斐?!があるというものだ! 感謝!

posted by kbcc at 20:34| 礼拝