2021年07月25日

2021年7月25日 インターネット礼拝 箴言17:3 「金を炉で練るように」


前奏
新聖歌 38(1,3)一 同
祈り 司会者
主の祈り 一同
聖書 箴言17:3
メッセージ 中西牧師
「金を炉で練るように」
新聖歌 176(1,2) 一 同
祝祷 中西牧師
後奏
報告

【序】以前こんな質問を受けた「ある人は人生に大した問題もなくスイスイと幸せに行くのに、私の場合は試練の連続です。同じ人間なのに神様はどうしてそんな不公平なことをされるのですか」と。今日はそんな質問に答えたい。

T.あなたが試練を受けるのはあなたが高価だから
「銀にはるつぼ、金には炉」
るつぼも炉も高価な金属を製錬するための道具である。特に金に炉とあるが、実に高い温度で精錬される。そこまでして製錬する理由は唯一つ。その金属が高価であるからだ。「がらくた」なら製錬される必要はない。あなたに試練が多いとするなら、それは、あなたが神の目に高価であるからだ。神はあなたを「高価で尊い存在」(イザヤ43:4)と見ておられる。しかし、この個所を「私は価値がないけれども神は私を愛して下さっている」と読んでないか?そうではない!あなた自身が高い価値があると神はみなしておられるのだ。神の御子があなたの為なら命は惜しくないと言ってくださるほどの価値なのだ!感謝!

U.あなたが試練が受けるのは用いられる器になるためだ
製錬は金属がよりよく使われるために行うように、「試練」は人が神に用いられるためのものだ。しかし聖書的理解から外れて受け止めると、試練を「呪い」とか「祟り」「先祖の因縁」と苦しめられることになる。
【証】三浦綾子さんが肺結核で入院していた時、布教師がやってきて「肺結核は天刑病で、ハイと素直に返事しないからの罰で、顔に痣のある人は前世で親の顔を踏みつけたから」だと聞き、病気だけでも苦しむのに、自分も知らない前世の話をして神の罰だと断罪するとは酷い、と気分を害されたそうだ。
それに対して、キリストは全く違った。ヨハネ9:1−3で生まれながらの盲人
のことを弟子達が「彼が盲目で生まれたのは親の罪の所為ですか?本人の罪の
所為ですか?」と尋ねた時、キリストは「そうではない。神の業がその人に現
れるためであると言われた」すなわち神を信じて生きる素晴らしさがこの人に
現れるためだ」と言われた。試練は神に用いられる材料になるためだ!

V.試練の最終ゴールは幸せのため
神はなぜ金を錬るように私達を練り上げ、時には苦しみの炉で試みられるのか。申命記8:16を開けてみよう。こう語る→「あなたの先祖たちの知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめあなたを試み、ついには、あなたを幸せにするためであった」と。これが神の試練を受ける最終ゴールなのである。だから人生の途中で判断してはいけない。
ヨセフやヨブを思い出そう。二人とも試練を受けた人であるが、その結果、ヨセフは大臣になり又優しい人格に変えられ、ヨブは以前の二倍の豊かさを得、又非難した友人の為のとりなしをする人に変えられた。
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2021年07月18日

2021年7月18日 インターネット礼拝 箴言16:25 「まっすぐに見える道」



前奏
新聖歌 174(1,2)一 同
祈り 司会者
主の祈り 一同
聖書 箴言16:25
メッセージ 中西牧師
「まっすぐに見える道」
新聖歌 311(1,2) 一 同
祝祷 中西牧師
後奏
報告

【序】ある人に「信仰も結構ですが、私は自分でしっかり真面目に生きてきたと思っています。自分さえ正しくあれば神を信じなくても大丈夫ではないでしょうか」と言われたが、「しっかり、まじめに」と言われるが、何を基準に言うのだろうか?日本も75年前までは「日本は神国だ」と「真面目に」間違っていた。…気を付けなければならないのは、自分の今歩んでいる道が正しく真っ直ぐと思っていても実は真っ直ぐでなく死の道を歩んでしまう事だ。それはどんな時か?。

T.目的地を間違っているとき
私達人間は、神から命を与えられ、神の恵みによって生かされ、神に向かって生きる者である。だから地位や富を得る事が人生の目的として生きていると、それが確かな支えではないことを知らされる時がある。
【例】ある人が世界旅行に出かけた…乗った飛行機がエンジントラブルで墜落する危険性があるので救命具をしっかりつけてくださいとアナウンスが入った時、仮に隣の紳士が小切手をあなたに渡して「1千億円です。あなたに差し上げます」と言っても嬉しくも力にもならない。
死んでも揺るがない確かなゴールが必要なのだ。「わたしが道であり真理でありいのちなのです」(ヨハネ14:6)と主は言われた。キリストこそ死と罪の解決をもたらされた唯一のお方である。このお方に従う道こそ確かな道。

U.自分中心に物事を見ているとき
「愚か者には自分の道が真っすぐに見える。しかし知恵ある者は忠告を聞き入れる」(箴言12:15)
とあるように、自己中心的な人は、自分は間違ってないと意地を通す。愛と真実の忠告も無視し、自分の道は真っ直ぐだ、と錯覚する。
【例】双子の兄エサウの祝福を奪い取って逃亡した負けず嫌いのヤコブ。馬鹿な兄が祝福を受けるのは間違い、自分こそ正当な受取人であるべき。自己中に見ているから間違ったと思わない。こういう時、問題から逃げても後から問題が追っかけてくる。人間的方法で兄に宥め作戦をするが確信持てない、とうとう自我が砕かれ兄との和解と言うまっすぐな道が開かれた。

V.失望落胆という悲しみで目が曇るとき
エマオ途上の弟子達は主イエスが十字架で亡くなった悲しみに余りにも打ちのめされていた為に、側で共に歩まれている復活の主が解らなかった。失望落胆は目的地を見失わさせる。しかし慰められるのは、失望落胆する者の傍らに寄り添って一緒に歩みを続けてくださるキリストがおられるという事。そして失望落胆と悲しみの中にある弟子たちの心の目を開いて希望を与えられるのだ!
 【証】開拓伝道して数年のころ、失望落胆して落ち込んでいた。しかし聖書を読んだ「何の働きのない者を義とされる神」で決心した。「ダメだダメだとばかり自分を哀れんだりせず、ダメなのを承知の上で義とし、用いて下さる神に感謝して、これからは進もう」と!
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2021年07月11日

2021年7月11日 インターネット礼拝 箴言16:7 「福音的処世術」 


前奏
新聖歌 112(1,2)一 同
祈り 司会者
主の祈り 一同
聖書 箴言16:7
メッセージ 中西牧師
「福音的処世術」
新聖歌 222(1,2) 一 同
祝祷 中西牧師
後奏
報告

【序】人間関係で悩まない人はいないだろう。それで裁判になったり、引っ越ししたり、自殺する悲劇さえある。今日は「福音的処世術」という題を付けたが、この世の人間関係回復の方法とは別の新しい道について語りたい。

T.この世の方法の限界
 本屋さんには「人間関係の本」がずらりと並ぶ。
「人間関係がしんどいと思ったら読む本」「もう限界と思ったときに読む「いやな人間関係から抜け出す本」「そんな友達ならいなくたっていいじゃない」「「言葉や態度に傷つけられた心を救う本」…。
これらの本が山積みされているのに、人間関係で悩む人が絶えないという事は、それ程の本に解決の確信が持てない、という事ではないだろうか!
上述の本による方法には一つの生命線的ネジが欠けている。それは人間関係を良くするために「相手との関係」だけを見て苦闘している事だ。
 では聖書はなんと言うか?

U.聖書の示す福音的処世術
聖書の勧めは→「主は、人の行いを喜ぶとき、その人の敵をも、その人と和らがせる」つまり、神の前における自分の心と行いの吟味が人との関係解決に勝って大切だという事である。人間関係がこじれた時、相手にどう言ったらいいかという事に心が傾き、道がわからないと疲労困憊する。この方法ではなく、→誰からも咎められない自然体の中で神の前で先ず自分の心と行いが正しいものであるのか吟味する事。この意味は、あなたの方が悪いからという事ではない。相手が100%間違っていたとしても、それを根に持ち憤りを捨てないでいるなら、それは神の前に正しくなく、又自分の身体も蝕まれる。だから先ず自分の清めである。

V.不思議な神の解決法
主は…その人の敵をもその人と和らがせてくださる
自分の心と行いが正されていく時、何が起こるかというと、神が「和らぎの道」を実現してくださるという事だ。
【証】大手商社マンのKさん…米国駐在中に軽微な自動車事故で相手から500万ドルも賠償請求され保険で50万ドルしかカバーできないで悩み裁判に怯え、不当な請求をする相手に憤り…極限の中で神に祈り、聖書から「汝の敵を愛せよ」に心打たれた。自分のためには祈ってきたが相手のために祈ったことはなかった。自分も相手を赦せないのと同じ様に、相手も自分を赦せないと思え、「相手を許しますので自分もお許し下さい」と祈った。数週間後、相手の弁護士から「突然原告から5万$で和解提案があった」Kさんの赦しの祈りが伝わって神が働いてくださったとしか思えなかった。
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