2020年05月31日

2020年5月31日礼拝メッセージ「母を思いやるキリスト」ヨハネ19章25節から27節 中西正夫牧師

音声で聴く。

ヨハネ19:25−27       「母を思いやるキリスト」       20.5.31

【序】日本の文明開化の立役者、勝海舟と福沢諭吉との会話が残っている。福沢が尋ねる「キリスト教は

孝道を重んじるか?」勝「キリスト教が孝道を重んじるかどうか知らないが、隣に宣教師家族が住んでいるが、親と子の姿を見ると、日本の家庭では到底及ばない情愛ぶりである。それを思えばキリスト教は孝道を重んじるのであろう」と答えたという。果たして現代はどうか、今日の箇所から親子のあるべき姿を学ぼう。 


T.キリストは親の悲しみを知ってくださる

私達は激しい痛みの中では他の事は考えらえない。まして他の人の事の心配などできないが、キリストは激痛の中で母の悲しみを思いやる。親にとって最大の悲しみは何か?自分より我が子が先に死んでしまう事。目の前で死にゆく我が子を見るのは胸が張り裂ける事だろう。○介護百人一首の歌―赤柴広子さん、37才の息子末期がんで…「お母さんごめんねと我に詫びし息子(こ)の告知直後の言葉忘れず」

 キリストは母の悲しみを思い「ヨハネ、私のできなかったことを頼むよ」(26,27)と、老後の母の行く末を気遣われた。

 【適用】皆さんの中で、我が子が親より先に亡くなるという悲しみを経験された方がおられたら、そんなあなたに心寄り添い又悲しみを癒してくださるキリストがおられることを知って頂きたい。


U.聖書は親孝行すべきことを教えている

親を顧みる事は「子」である全ての者が必要な態度であると聖書は教えている。

・「親の恩に報いる習慣を身につけさせよ。それが神に喜ばれる事である」(Tテモテ5:4

親にも欠点があるだろうが、私達もそうなのだ。人間関係はやまびこのようなもの。弱い者をバカにするなら自分が弱くなった時バカにされる。老人をバカにしているなら自分が老人になった時バカにされる。親をバカにしているなら自分が親になった時バカにされる。「親孝行したい時に親はなし墓に布団もかけられもせず」悔いのないようにしたいものだ。


V.子離れする大切さ

主イエスは母マリヤを愛しておられたが、「母」と呼ばれなかった→「女の方(26)。ここに母子の間に質的転換が起こっている。子は精神的に親離れが必要であるが、親も又子離れができる必要がある。母子ではあってもそれぞれが神に信頼して主体的に生きていける人間になることー両者の間に神を置ける絆―が大切なのだ。

【適用】「母」よ。子供は自分のお腹を痛めて産んだ子。父よりも絆は濃いかもしれない。それだけに「子離れ」でき難いだろう。しかし「我が子」ではあっても「我がもの」ではない。主のものである事を心に刻もう。そしてあなたがいなくなっても子が主に信頼して歩めるよう祈っていこう。


【結び】ヨハネの事を最後に語っておきたい。彼にしてみれば老人の世話を意に反して求められた事かもしれない。今もヨハネのように自分の親以外の人を顧みる立場になった人がいるだろうか。長男に嫁いだからとか、行き掛かりでこうなったとか…しかし「聖家族」という言葉をご存じか?ヨセフとマリヤとキリストという聖家族。ヨハネがマリヤの世話をするという事によって聖家族に加えられたという事。その特権に招かれた!

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2020年05月24日

2020年5月24日礼拝メッセージ「コロナ時代の勝利者」Tコリント13章13節

音声で聴く。

Tコリント13:13       「コロナ時代の勝利者」         20/5.24
【序】最近「コロナ時代」という表現がされる。唯コロナ感染のある時代という意味よりもコロナが人類に問いかけるものは何かという表現。@突然やってきた危機にどう対処するか A死の不安をどう対処するか B人生で失わないものがあるのか→改めて聖書がいかにその問いに答え勝利者の道を示すかと思わされる。

T.人生の勝利者とはどういう人のことか
 事業の大成功者、地位、富を得た人?→キリストは「栄華を極めたソロモン」と言われたが、彼程事業に大成功し、知恵においては群を抜いており、莫大な富に囲まれ、さぞ満足した人生かと思うが、彼の告白は「空の空。どんな苦労をしてもそれが何になろう」(伝1:2,3)と人生の虚しさを語っている、なぜ???富や地位が最終的に人の心を満たせないのか?→「神は人の心に永遠を与えられた」(伝3:11)→永遠のものでしか満たせない心にこの世の一時的な富、地位を満たしても満足できないのは当たり前!そう考えると「いつまでも残るもの」(Tコリント13:13)の確かさが響いてくる。この生き方こそ何物にも揺るがない道であり、コロナ時代が問いかける三つの質問に答える確かさを抱かせる。

U.コロナ時代に勝利をもたらす三つの道 
 1.信仰=突然やってくる危機の時に依り頼める神への信仰
【証】ニクソン大統領時代の補佐官チャールズコルソンの回心…ウオーターゲート事件で民主党の選挙対策本部に7人の絶対忠誠の部下が盗聴器を歩。仕掛け、その首謀者がチャールズコルソンが逮捕。獄中で、世界最高の権威の人につき満足感と富を得た結果がこれかと人に頼る無力と虚しさを知り神への信頼を知る。  
あなたは何に頼るのか?又なぜ人は試練に会うのか。それはあなたの運や心がけが悪いからではない。倒れない前には今までの知識や経験で何とかもっていたのが通用しない世界のあることを知って、それに勝る新しい力と希望を知るためである!
2.希望=死が迫ってくる時にも死に打ち勝つ永遠の命の希望のこと
年と共に死の不安が襲ってくる。【TV笑点】18才と81才の違いは何?18歳は偏差値が気になるが81才は血糖値が気になる。18才は道路を爆走するが、81才は道路を逆走する。18才は心が脆いが、81才は骨が脆い。18才は恋に溺れるが、81才は風呂に溺れる…コロナを恐れるのも最終的な死を恐れる故である。しかしキリストが復活によって成し遂げて下さった救いの道は死にさえ打ち勝つ永遠の命への希望なのである。信じる者にとって死は終わりではない。天国という希望の世界があるのだ。∴勝利者なのである!しかも未完成の事を気にしなくてもよい。何故なら神が完成して下さるからだ(詩篇138:8)
3.愛=いつまでも残る最大の力
【例】30年前米国での話一アイスクリームショップに10歳の少年がカウンターで背伸びして注文した「アイスクリームサンデーは幾らですか」「50セントよ」少年はとポケットから小銭を出して数え始めた。時間もかかりウエートレスは苛立った。列が混んでいたからだ。やっと数えた少年が又尋ねた「普通のアイスクリームは幾らですか」「「35セントよ」少年は再び数えて「では普通のアイスクリームをお願いします」「それなら初めからそう言えば!ウエートレスは益々腹が立った。少年はそれをもってテーブルに行った。 やがてウエートレスが見ると少年はいなかった「帰ったのか…」とかたずけようとテーブルに行ったところ10セントと5セントが置いてあった。ウエートレスへのチップだった。少年は食べたかったアイスクリームサンデーを止めて、チップを渡すために普通のアイスクリームを注文したのだった。ウエートレスは少年の心が分からず苛立った自分を恥じた→キリストが十字架にかかった事は皆知っている。でも神はキリストが人間の身代わりの裁きを受けるために掛かられた愛の意味を知ってほしいと願っておられるのではないか!
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2020年05月17日

2020年5月17日礼拝メッセージ「倒れた者を立ち上がらせて下さるキリスト」ヨハネ18:25-27 中西正夫牧師

音声で聞く。

ヨハネ18:25-27    「倒れた者を立ち上がらせて下さるキリスト」    20/5/17

【序】私達の教会の二階にダビデとヨナタンという教室が並んでいる。25年前に召天された佐々木姉が命名された。ダビデとヨナタンの様な友情と励ましのある教会を願っての命名…ダビデがサウル王に命を狙われ逃亡中、気落ちしたダビデにサウルの息子ヨナタン命を懸けてやってくる「恐れる事はない。あなたは必ず次の王になり、私はあなたの次に立つでしょう」と神の御心を伝えて励まし、ダビデは力づけられて立ち上がる。気落ちした者を励ますのは素晴らしい事。今日出てくるペテロも挫折するがキリストによって立ち上がっていく。人生で落ち込む事も多い私達もペテロと共に励まされ立ち上がっていきたい。


T.挫折の原因

  1. 中途半端な位置に立つ

ペテロは「外で門の所に立っていた」(16)マタイは「遠くから後をつけ」(6:58)と語る。彼は場所的にも心理的にも中途半端なところに立っていた。主の最も近くにいるべき人なのになぜか?世を恐れた故→足元掬われる!

 2.自信過剰(→警告無視)

彼の心に主への愛がなかった筈はない。主に従う決意も強かった。

「たとい御一緒に死ななければならないとしても、私はあなたを知らないなどとは決して申しません」(マタイ26:35しかし彼は主が注意を促された警告を聞き流しゲッセマネの園での祈りに眠りこけた。数時間後主を否定する。

【適用】自分はそこまでは弱くないと過信し、祈らずとも聖書を読まずとも大丈夫と過信していると一寸した事で人の声が神の声の様に恐ろしくなり、遂には信仰をぼやかし、自分を守る事に必死になり、恐れに囲まれる。

そんなペテロであったが、キリストは裏切りのペテロを立ち上がらせて下さる。


U.挫折からの回復

 1.(鶏の鳴き声から)主の言葉を思い起こした

  ペテロがキリストを否定した時、鶏が泣いた(27)。マタイはこの時「イエスの言葉を思い出した」(マタイ26:75と語っている。【適用】神は私たちの回りに様々なものを置いておられる。自然の声でも、環境からでも人との出会いからでも神の語りかけを「思い起こす」人は幸いである。

  1. 主の赦しのまなざし

鶏が泣いた時もう一つの事があったのをルカが記している。「主は振り向いてペテロ

を見つめられた…その時ペテロは激しく泣いた」(ルカ22:60,61) この「見つめる

とは主の赦しのまなざし。主は今も赦しの御目を注がれる。

【例証】宮沢賢治が農業高校教師時代に手癖の悪い生徒がいた…畑で大根を盗んだ時に

賢治に出会った、1分、2分、3分経っても見つめたまま動かない。やがてその生徒は

ペコリと頭を下げて去っていった。後にその生徒は「先生のまなざしは僕を責める裁き

のまなざしではなく、僕の良心に「それはお前らしくない、違うだろ」と優しく問いか

ける赦しのまなざしであった、それ以後、彼は二度と盗まなくなった。

【結び】ペテロが自分の罪を意識してなかったように私達も自分の罪、弱さを知らないのである。人は相手の醜さを知った時バカにするが、キリストは赦しと愛で私達を立ち上がらせてくださる。

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