2021年07月04日

2021年7月4日 インターネット礼拝 箴言16:3 「神にゆだねるとは」



前奏

新聖歌 163(2回)一 同

祈り 司会者

主の祈り 一同

聖書 箴言16:3

メッセージ 中西牧師

「神にゆだねるとは」

新聖歌 384(1,2) 一 同

祝祷 中西牧師

後奏

報告



箴言16:3 「神にゆだねるとは」

【序】ある方から「聖書に『神に委ねよ』とあるが、実際どうすることなのか?何もしなくてよ いのか?よくわからない」と尋ねられたことがある。これは多くのクリスチャンが疑問に思う事 ではないか。そこで「神にゆだねる」とはどういう事か、伝えたい。

今日の聖書「あなたのわざを主に委ねよ」(16:3)とある。つまり、私たちを束縛する諸々 の人間的「わざ」が「神にゆだねられるべき事」が教えられているのだ。具体的に言うと:

T.心配をするのをやめて主を信頼しなさい、という意味

聖書語句辞典で調べると、「主にゆだねる」で最も多く使われているのが→「あなたの思い煩いをいっさい神に委ねなさい」(Tペテロ 5:7)である。人は実に 様々な事を思い煩う。家族の心配、健康の事、仕事の事、人間関係…しかし、 ここで心に留めるべきことがある。→心配しないでいる理由がこの御言葉に記 されている。「神があなたがたの事を心配してくださるから」とある。私たちが 心配しても堂々巡りで解決しない。神は私達の明日を知り、最も善き事を用意 される方であるから、神の顧みを信頼する事。私たちに必要なのは心配ではな く神への信頼である。具体的な事を言うと、心配な事柄を、最も力あり味方で ある方を前にして言う様に神の前に全部言う事。後は神の顧みを信頼する事! 【証】人生で一番心配しない時代は子供時代だ、何故なら子供には全幅の信頼を置ける人がいるからだ。そ

れは親!しかしもし子供が自分の親がいることを忘れて生活の心配をしょい込んでいたらどうか?親は悲 しむだろう。親は子供が生活の心配を親に任せて楽しむことを願っている。神もそうである。

U.自分の知識に頼らず、御言葉に聞きなさい、という意味

「委ねる」の意外な使い方として次に出てくるのは「御言葉に委ねる」という 表現である→「あなたがたを恵みの御言葉に委ねます」(使徒 20:32) この意味は、私たちが色々な問題で悩む時、自分の知識経験に頼らず、聖書は どう教えるのかと尋ね求めて聞く生活の事である。聖書に答えを見出そうとし て聖書を読む人は、必ずそこから答えとヒントを見出すのである。 【証】ささきみつおクリスチャン弁護士が属している大学の法律クラブ 15 人のうち既に 4 人が亡くなっ

ている。共通の死因は激務からくる心労だそうだ。「過労死」。合言葉が「次に会うまで死ぬなよ」だそう だ。そのうち一人が聖書を勧めたら読み始めた。「聖書を読むと心がすごく平安になる」と。

V.あなたの最善の将来を信じなさい、という意味

16:3 では私たちの「わざ」の事が言及されている。振り返ると、そのわざの 中には、すべきでなかった行いもあるし、未解決な行いもある。この世では「水 に流す」とか「いつか忘れられる」とかいう。しかしそうならず引きずったま まである。聖書は神が全責任をもって事を完成してくださる、と教えている。 「主は私の為に全てを成し遂げてくださいます。」(詩篇138:8)

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2021年06月28日

2021年6月27日 インターネット礼拝 「過去は変えられる」使徒7:25,35


前奏
新聖歌 27(1, 2) 一同
祈り 司会者
主の祈り 一同
聖書 使徒7:25,35
メッセージ  中西牧師
「過去は変えられる」
新聖歌 188(1, 2) 一同
祝祷  中西牧師
後奏
報告

使徒7:25,35       「過去は変えられる」       21/6.27

【序】「過去を変える」のは不可能だと思うだろう。確かに過去の出来事そのものは変えられないが、意味を変える事はできる。私の交通事故も家の倒産も悪い星に生まれたと当時は嘆いたが、それがきっかけで父は救われ私は使命に感じて牧師となり、恵みの星に変わった!…今日の話はステパがモーセの生涯から過去は変えられる事を語り、それがあなたにも起こると励ます。


T.神との出会いが必要である

モーセの場合、かつてエジプト王子の時、取り組んだイスラエルの民の救い計画の失敗と、殺人の罪という苦い過去があった。その生活にピリオドをつけ、祝福された大きな働きに導かれたのは、ホレブ山で神と出会ったからだ(30)。

この神を知る事は人間にとって非常に大切だ。なぜかと言うと、神こそ人間の創造者だから。そして神に創造された人間がその存在意義も創造目的も、そしてその人間が最も生き生きと生きることも神を知る事から始まるのである。

【例】オルガンという作品がある事からわかるのは作者が存在するという事。と同時に、作品はその作品の最も機能的な力を発揮する方法を知っている。


U.人は何歳からでもやり直しができる

モーセは40歳で気力、体力も充実していたはずだが、だめだった。しかし

40年後、体力、気力は衰えている筈なのに、事は成功した。なぜか?聖書はその理由を記している→25節「自分の手によって」→35節「御使いの手によって」神の力が加わったからである。この差は大きい。

【証】カーネルサンダースをご存じか?店の前の白髪の紳士の人形で有名な世界的企業ケンタッキー・フライド・チキンの創業者だ。なんと彼は定年退職するような65歳で始めたのだ。味が評判のレストランの経営者だったが、交通事情の変化で店に客が来なくなった。引退も考えたがこの美味しいフライドチキンをチェーン店を各地に作って客に食べてもらったらどうかというアイデアを思い付いた。普段から神の御心を聞くクリスチャンの彼は教会に行って牧師に助言を求め祈ってもらおうと出かけた時、友人の教会員に出会い、話すと一緒にやろうと意気投合し、それが世界に広がった。人は何歳からでもやり直せる!


V.苦く無意味と思えた過去を祝福に変えられる

 モーセにとって羊飼いの日々は虚しく無意味な日々でしかなかっただろう。しかし民が荒野で40年も過ごさねばならなくなった時、荒野の生活を知っているモーセであればこそ指導者として民を導けたのだ。そう考えると虚しく見えた荒野の40年に光が差し込み意味が見えてくる!言えることは無意味と思えた過去の荒野の生活も後になってその意味がわかったのである。ただその時点ではわからなかった。我々もそうである。しかしキリストの言葉を思い起こそう→「わたしのしている事は今はあなたにはわからないが後でわかるようになります」(ヨハネ137



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2021年06月22日

2021年6月20日 インターネット礼拝 「我が子を愛する父」ヘブル12:5-11


前奏
新聖歌 9(1, 2) 一同
祈り 司会者
主の祈り 一同
聖書 ヘブル12:5-11
メッセージ  後藤伝道師
「我が子を愛する父」
新聖歌 349(1, 3) 一同
祝祷  後藤伝道師
後奏
報告

 ヘブル12:5―11         「我が子を愛する父」             21/6.20


【序】今年のサラリーマン川柳は、コロナ禍に関する作品が多い。お父さんたちは悲しみの中にもユーモアがある。ところで、笑ってはいられない現実もある。苦しみや試練をどう受け止めれば良いだろう?


T.苦しみについての誤解

私たちは苦しみについて思い違いをしやすい。それは昔から変わらない。ヨセフの兄たちは予想外の問題が起こると「これは弟を売った罰だ」と言い、飢え渇いたイスラエルの民は「神に見捨てられた」と考えた。しかし、聖書によれば、苦しみはこのいずれでもない→視点が変えられると、思いも変わる。


U.主は愛する者を訓練される

聖書は「主はその愛する者を訓練し、受け入れる全ての子にむちを加えられる」と語る(6)。神は私たちを我が子と見なし、愛するが故に、祝福しようとして訓練されるという。私たちには神の心が見えない。しかし、だからといって、「神は愛ではない」と言えるだろうか。【例】猟師は罠にかかった熊を助けるために麻酔銃を使う。しかし、熊はそれを理解できない。神と人の関係もこれと似ている。

【例】モーセも「主はあなたを苦しめ、飢えさせた。それは『人はパンのみにて生きるにあらず』を教えるためだった。人がその子を訓練するように、主があなたを訓練されると知れ」と語る(8:3,5)

【適用】視点を変えよう。神は遠くから、私たちを罰するために見張る方ではない。御子イエスを通して私たちをとして受け入れ、ご自分をと呼ぶ特権を与えられた!深い配慮と計画の中で、私たちに苦しみが起こることを許され、トレーニングして下さる。だから、「なぜこんな目に会わせるのですか」ではなく、「この事を通して何を教えようとしておられるのですか」と祈る者でありたい。


V.訓練の目的

天の父は何のために、私たちを訓練されるのか?それは「私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練される」のだ(10)ご自分の性質を共有し、私たちを成長させるためだ。【例】私の父は、私に神との交わりを教え、自分が考えるベストをしてくれた。私に益となっている。ところで、肉の父(実親)は誰しも人間だから短所もあり、偏りもある。しかし、霊の父()には誤りがなく、訓練を通して成長させるという計画を持ち、その訓練は私たち自身にとっても大きな益となる。

【証】ニック・ブイチチは両手足のない状態で生まれた。学校ではいじめられ、「神からもいじめられている」と感じていた。しかし、聖書を通して障害をギフトと捉えられるようになった。自分の経験を語って人々を励ますことが神からの使命だと知り、現在、世界中で講演活動を展開している。

【結論】主は愛する者を訓練される。それは、私たちを造り変え、成長させ、祝福するためである。



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