2018年12月03日

2018年12月2日礼拝メッセージ 「不安時代の確かな人生ガイドマタイ2章1-11節音声で聴く。

」マタイ2:1−11    「不安時代の確かな人生ガイド」      18/12.02

【序】ある心理学者が言った「努力は報われると一般では言われるが、必ずしもそうではない。報われない事が多い。しかしその努力がグンと報われる確率が高くなるケースがある。それは、確かな何かを信じて努力するなら、報われる確率が高くなる」…2千年前の「東方の博士達」もどっちを向いても砂ばかりの砂漠の旅の中で彼らを導いた三つの確かな導きががあった。今日にも適用される確かなものである。伝えたい。


T.確かな人生に導く「星」がある

 東方の博士達は救い主に会う為に2千qの旅をしてきたが、どっちを向いても砂漠の砂ばかり。どうして方向が分かるだろう?→2節に「星」で導かれたとある。

今も神は私たちに確かな人生を歩めるように様々な「星」で導かれるのだ。

 【適用】あなたが教会に来たのはたまたまと思っているかもしれないが、聖書には「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。(ヨハネ15:16とあり、神は今も様々な「星」をもって私達を導かれる。ある人には家族や友人を通し、又様々な集会を通し、そして時には苦難や病や問題を通してでもあるのだ。だから苦難で必要以上に落ち込まない事だ。それはあなたを神の愛と救いに導くための「星」なのだから!


U.確かな人生に導く「聖書」がある

  東方の博士達はエルサレムまでは星に導かれて来たが、救い主誕生の場所がベツレヘムである事は「聖書」(5,6)から聞かねば分からなかった。人生の答えと救いを得るには「聖書の言葉に聞く事」が大切なのだ。

【適用】求道者の疑問―「聖書が心の糧になると思って読んでいるのですが、信じられないような話が出て来るでしょう。復活とか奇跡とか…あれって本当に起こったのではなく何かの象徴ではないのですか?」私も求道者の時代そう思っていたのだが、ある時Tコリント8:2「人がもし何かを知っていると思ったらその人はまだ知らなければならないほどの事も知ってはいないのです」に心探られた。「私は自分流に聖書を解釈しているが、私はそれができるほど聖書より賢いのか?」と。やがて態度を悔い改めそのまま受け入れて読み始めた、すると聖書の言葉がスーッと心に入ってきて聖書がよくわかるようになり、更に人生を祝福し始めた。なので聖書をそのまま読んでもらいたい。


V.確かな人生に導くものは「理想環境ではなく正しい目標」である

東方の博士達は人類の救い主がお生まれになる環境が幼児さえ虐殺するヘロデ王の世という悪い環境とは思わなかっただろう。しかし彼らはその悪環境を超えて救い主に会い礼拝し宝物を捧げるという目的を果たした。紙も彼らを導かれた。ここに励ましとチャレンジがある。

【適用】私達は理想環境を求め易い。しかし求めるべき答えは理想の環境でなくてよいのだ。大切な事は、理想の環境を求めることではなく、目的を果たすことなのだ。たとえ劣悪環境の中でも、東方の博士達のように目的を果たすことだ。そうすると「この上ない喜び」が博士たちにも臨んだようにあなたにも臨むであろう。

posted by kbcc at 15:03| 礼拝

2018年11月27日

2018年11月25日礼拝メッセージ 「世界幸福度ランキグ54位の日本」詩篇16章6-9節音声で聴く。

詩篇16:6―9    「世界幸福度ランキング54位の日本」    18/11.25 

【序】2018年世界幸福度ランキングで日本は54位で昨年より三つ下がった。G7では最下位。日本は世界第3位の経済大国で物質的には恵まれていても、幸福の実感がないという人が多い。そこで今日は少しでもその実感を持てるようになればと願いつつ幸福についてメッセージしたい。

T.幸福の秘訣

ダビデは6節で「測り縄は私の好む所に落ちた、まことに私への素晴らしい譲りの地だ」(6と自分の置かれた環境を好ましいと受け止めた幸せを語っている。これこそ幸せな人生である。もし幸せな仕事人生を送りたければ、自分の職場を好きになることだ。不幸な仕事人生を生きたいなら自分の職場を嫌いになることだ。幸せな家庭生活を送りたければ、自分の家族を好きになることだ。不幸な家庭生活を送りたければ家族を嫌いになることだ、幸福な信仰生活を送りたければ教会を好きになることだ。不幸な信仰生活を送りたければ教会を嫌いになることだ。幸福の実際的秘訣は環境の受容によるのだ。

U.悪環境を受け入れたダビデ

こう言うとある人は「そうだろうけれど、私の環境は全く悪い環境だ。それにこの詩篇の作者のダビデも王様だから、好きな環境と言えたのではないか?」と言われるかもしれない。しかし違うのである!【詩篇の背景】を見てみよう。

@この詩篇16篇はTサムエル26章が背景になっていて、ダビデが主君サウル王に仕えていた時代。王から妬まれ命さえ狙われて洞窟に逃げ込み、そこでの祈りが→1節。「神よ、私をお守り下さい」→最悪環境だった!  

Aしかしダビデが心を鎮め祈って示された事は→今はサウル王に追われて命の危機にあるが、かつて預言者サムエルから「あなたは次の王になる」と油注がれたことを思い巡らした。その時、今は命の危機にあるが、信仰的立場に立てば、必ず守られるであろう。更にこの悪い状況さえ将来のために良い訓練、糧になるだろうと受け入れることができたのである。その信仰に立った時→測り縄は私の好む所に落ちた。真に私への素晴らしい譲りの地(6)感謝したのであった。

V.自分の環境を良い環境と思えない、と言う方への励まし

【証】教団の教職セミナーで、あるベテラン牧師が新任教職者達に「あなたが働くこの教団は日本で一番良い教団です」と言った。すると「いろいろ問題もあるではないですか。どういう訳で?」「わかりません」「それなら日本一なんて言えないのでは!」「いやそう信じているんです」これは名答である!私達が置かれた環境が完全かどうかは問題ではない。大切な事は、「そう信じていくこと」なのだ。→8節「私はいつも私の前に主を置いた。主が私の右におられるので私は揺るぐことがない」 神があなたを訳あって今の環境に置かれたのだ。間違いをされない神があなたをそこで祝福するために置かれたのだ。そう信じる信仰が幸福につながる。

posted by kbcc at 14:06| 礼拝

2018年11月20日

2018年11月18日礼拝メッセージ 「人間ミナ平等」ルカ19章12−23節音声で聴く。

ルカ19:11−23        「人間ミナ平等」         18.11.18

【序】地球に73億もの人が住んでいるが、二人と同じ人はいない。私達は個性的にユニークに造られている。しかし私達はとかく人と比較して能力不足だとか、あれがあればと嘆き自信喪失や劣等感に悩まされている。今日のメッセージを通して励ましを得たいと思う。


T.ルカ伝とマタイ伝の違いの意味

この譬え話はマタイ25章でも似た話が出てくる。ただ違うのは預けられたものがそれぞれ5タラント、2タラント、1タラントと違うのに対して、ルカ伝では与えられたものは等しくみな1ミナである。この違いはどういう事か?

○マタイ伝―個性も含めそれぞれ能力が異なる姿を現している。例:勉強が得意な人

  と苦手な人、芸術が得意な人と苦手な人、運動が得意な人苦手な人。それぞれに差

があるのは現実。マタイ伝ではその預けられたものの違いを端的に表している。

○ルカ伝―みな1ミナである。これは人間としては等しく価値が同じであることが

  強調されている。聖書で言えば大祭司であれ、律法学者であれ、取税人であれ、

  差別された癩病人であれ盲人であれ皆等しい価値をもっている。

※唯この世では能力が有る者の方がより価値がある人間であるかの様に扱われ易い。又価値が平等といっても何をもってそう言えるのかを知る必要がある。


U.神の前に自分の価値を見出す場所はどこか

教会で皆さんが大事にしてくれる、それもあるだろう。又自分が教会で活躍できる奉仕がある、それもあるかも知れない。しかしそれは最大の自分の価値を見出す場所ではない。自分の価値を最大に見出す場所、それは十字架である―神の御子があなたの為なら身代わりに罪の裁きを受けてもこの命は惜しくはないとして十字架で死んでくださる程、あなたは愛の対象になっている。十字架こそあなたの最高の価値を見出す場所なのだ。→「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(Tヨハネ4:10

V.人の働きに対する神の評価は何か

「忠実さ」こそ神の評価基準! この世では幾ら成績を上げたか、幾ら儲けたか、が評価されるが→聖書では「儲けた額よりも忠実だったかどうか」である。

【適用】私たちは人と比較して「これがないとか、あれが有ったら」と悔やみ易い。しかし星野富弘氏が11月5日に福音功労章を授与されたがそのスピーチで「私は身体の機能を失って、できることは全てなくなったと思っていたが、神様は私に素晴らしいものを与えて下さった。口に筆を加えて絵をかくなんて想像さえしなかった。私の描いたものを目にして下さった方が少しでも神様の事を感じて下さったらこんな嬉しいことはありません」

「競争は足の早い人のものではなく…全ての人が時と機会に出会うから」(伝道9:11だから自分は才能がないとか自分は恵まれない、と嘆かないで、チャンスは等しく与えられていることを感謝して召されるまで進んで頂きたい。

posted by kbcc at 10:36| 礼拝