2019年03月17日

2019年3月17日 礼拝メッセージ 中西正夫牧師 「父よ。わが霊を御手にゆだねます」ルカ23の44から49 音声で聴く。

父よ。わが霊を御手にゆだねます

ルカ23:44−49 父よ。わが霊を御手にゆだねます

【序】あなたは自分の一生を終える時、どんな言葉をるだろう?感謝な言葉か、或いは愚痴や不満であろうか生きてきたように死ぬとしたら…不安でもある。今日の言葉はキリストが息を引き取る最後の言葉である。この言葉は私達の不安を超えて、私たち素晴らしい安心をもたらす言葉である。


T.死後、天国に行けるという安心

神を信じない人にとって死後に希望ないだろう。病院にも頼れないし家族にも頼れない。しかし死が近づくので不安も襲う。そう考える時、キリストが十字架上で、父なる神にご自分の霊を委ねる事ができる言葉を発せられたことはキリスト信じる者にとって死後の世界の希望をもたらす言葉である。

【適用】パスカルの「信仰の確率遊び」(『パンセ』より)


            死後の世界は無かった(0)=

信じる人生(+1)→死 

死後の世界があった(+1)=+2(天国行きは確実だから)               


死後の世界は無かった(0)=0

信じない人生(0)→死

死後の世界があった(−1)=−1(地獄だとしたら)


U地上の未解決の問題も委ねられる安心

死ぬ時、地上で何もかも達成した感があるかというと疑問である。大概、未完成未解決の問題が残るものである。家族の救いが完成していないという事も大きい。キリストにとっても心の中には深く心に留めておられる弟子たちの事あっただろう。人間的に言えば未解決課題を持っておられたである。しかしそれも「父に委ねる」ことができるのだ詩篇138:8「私たちに関わることを主が成しとげて下さる」

【適用】あなたに未解決の問題がある。家族のこの事、あの事そして救いの事…未完成、心残りもあるだろう、しかしあなたが成し遂げなくてもよいのだ。神が成し遂げて下さるからだ。これは大きな安心ではないか!


V.この安心を得る為に必要な唯一つ事

キリストは「父よ。わが霊を御手にゆだねます」と祈られた。平安の人生に必要なことはゆだねる」である。ゆだねる」と似た言葉に「任せる」がある。聖書ではどちらも使われているが違い任せる対象は人である。(:レストランお任せコースシェフにお任せ、という事)それに対して「ゆだねる」対象は神である。神を信じる人生とは様々な問題が生じる中で、それを不確かな人間に任せていくのではなく、間違いのない神様を信頼してゆだねていく事である。ゆだねる」とはすっかり「任せる」事である。普段から人当ての任せるではなく神に委ねるを学びたい。

【結】あるが重い荷を背負って歩いている荷車を引く御者がその人に「お乗りなさい、軽くなるから」しばらくして見るとその人は荷台には載っているが背中に荷を負ったままだった。下してないのだ。あなたはどうか?

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2019年03月10日

2019年3月10日「あなたの良心はなんと言っていますか」藤藪庸一師ルカ10章25節〜37節音声で聴く。

ルカ10:25〜37「あなたの良心はなんと言っていますか」


そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」


1、 永遠の命を得るためには

救われるためには

神を愛すること隣人を愛すること

・・・イエス・キリストの十字架


2、 隣人とは誰?

祭司とレビ人にとって、傷つき倒れた人は隣人ではなかったのか?

サマリア人にとって、

宿屋の主人にとって、

・・・強盗に襲われた人にとって誰が隣人となったのか

隣人とは、意思を持ってなるものだ。

一円玉募金を始めた時の証し


3、 サマリア人が隣人としてしたこと

旅の途中の荷物が限られている中でのできる限りの犠牲

敵である相手を助ける決断と行為

支援の輪を広げた宿屋の主人への依頼

余裕がない中で自分のために使うはずだったものを他人のために使うということ

*相手からの感謝を期待しない行為だということ

#一円玉募金をやった結果の証し


4、 あなたも同じようにしなさい

あなたの隣人は誰ですか?


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2019年03月04日

2019年3月3日礼拝メッセージ 「天国はあるのか」ルカ23: 37 ‐ 43音声で聴く。

ルカ23:39-43天国はあるのか

【序】多くの方からの質問で「死後の世界、天国や地獄はあるのですか?」と尋ねられてきた。それに対する確信的な答えをキリストは今日語っておられる。誰にも最後に確実にやってくる死に対し良き備えになれば幸いである。それと共に、この短い個所に三つの真理があると思われる。


T.天国はある

全ての人が不安を抱き最大の恐れとしてきた「死」に対し、神の御子キリストが死後の世界の存在と、永遠のいのちの世界があることを明確に示しておられる。

「あなたは今日、わたしと共にパラダイス(「天国」)にいます」(43)

【適用】仏教でも死後の世界を語っている。極楽、地獄…。しかし御釈迦さんが死に打ち勝った姿を誰も見た者はいない。極楽に行ったというのもお釈迦さんくらいは極楽に行っていてほしいという周りからの願望でしかない。しかしキリストは違うのだ。自ら死に打ち勝ち復活をもって証された方であり、その復活の目撃証人たちが命を捨ててまで伝えて行った確証の伴う言葉なのだここに死後の希望が真実である事を示している


U.天国に行ける条件

全ての人は死んだら天国に行ける、というのは聖書の教えではない。二人の犯罪人は罪を認めた者も罪を認めなかった者もどちらも救われたのではない。罪を認めキリストへの信仰告白をした者だけが救われたのだ→「あなたは…パラダイスにいます」(43)と言われた。

【適用】しかし教会にはこのような犯罪人は希で、どちらかというといわゆる「善人」の方が多い。それだけに「罪の自覚」が乏しい危険性がある。…よく言われるのが「罪を犯した事が無いとは言わないが救って頂く必要はない」と。

この問題点→罪の本質に関する誤解―刑法の罪と聖書の罪の違い(「関係の罪」)

【例】ある立派な人がいて口々に良いと言われるとしても、父との関係が断絶しているなら立派でも根本が未解決。そのように人間の創造者である神との関係が回復していないなら、根本が未解決のままなのだ。故に罪を認めキリストを受け入れて神との関係回復をして戴きた


V.人最後の日でさえやり直せる

この男は何人もの人の命を奪い死刑判決を受け今まさに生涯を終えようとしている。地上では最悪の人生である。国も彼を捨て自分も自分を捨てた。しかしそんな彼をキリストは見捨てず、彼に罪の赦しと永遠の命まで与えて新しくされた。人は最後の日でさえ新しくやり直せるのだ。キリストともに歩む人生にそんな奇跡が起こるのだ。

 【適用】31歳の時には自殺しか考えられなかったナイチンゲールも、母に死なれ弟に死なれ父には捨てられ孤児院で育ち統合失調症にも罹ったサリバン先生も、自分ほどひねくれ、僻み屋が怒りっぽい性格はいないと嘆いた新渡戸稲造も聖書を通して神の愛に触れ新しい人生を歩むことができた。最後でも変わり得るのだ!

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