2019年07月29日

2019年7月28日礼拝メッセージ 「セルフイメージを高める。」イザヤ43章4節音声で聴く。

【序】「セルフイメージ」について語りたい。つまり「自分の心の鏡に自分がどう映っているか」という事。こ
れがどう映るかによって生きる喜びも決まる。一回限りの人生、セルフイメージを高く持って生きたいものだ。

T.幸福な人とはどんな人か
地位、富、ルックスなどの中に幸福があると感じるが事実は違うのだ。
【例証】「寅さん」の山田洋次監督談「一般的に言って幸福とはお金があって仕事がバリバリでき、自分の
したい事をやっているというイメージがある。米国のパーティに行くと、そんな典型的な人にお目にかかる。
自信に溢れているというのが伝わってくるのだが、安心の方がさっぱり伝わってこない。移ろい易い幸福を
得るために戦々恐々としているので、どこまで行っても安心を得られないのだ。更にこの種の幸福を追い求
めている限り、幸福に届かないと不安、嫉妬、焦りで心が一杯になるのだ」
※結論から言うと、幸福な人とは「セルフイメージが高い人」のことだ。
【例証】黒柳徹子さんは小1生時親が呼ばれ言われた「おたくのお嬢さんがいると、クラスじゅうの迷惑になります。よその学校にお連れください」と退学させられたが、転校したトモエ学園校長が「君は本当はいい子なんだよ」これまで疎外感を感じていた彼女をいつも元気づけた。今でも嬉しく心がジーンとくる、その言葉があって自分は自分でいいのだと自信が生まれた。この言葉で今の私があると思う」と語る。
 このようにセルフイメージが高くなる出会いを経験すると幸福につながる。

U.セルフイメージを高めるための方法
 @自己暗示―自分が自分に向かい「自分は素晴らしい」と言う―力にならない
A他人の言葉や評価でセルフイメージを高めようとするー人は色々で当てにならず、時に失望落胆人生に導いてしまう。
【例証】聖書は放蕩息子の話の中で落ちぶれた放蕩息子に対して「誰一人として彼に与えようとはしなかった」と記しているがマザーテレサはこう言った「人間にとって最大の悲惨は、あなたは誰からももはや必要とされないと感じることです。それこそが人間にとって最もむごい事、寂しくつらいことです。「あなたはもう必要ではない」そのとき人は倒れます」と。これは今日多いのではないか!
 Bそんな世界で自らの価値を高めてくれる素晴らしい言葉がある
→イザヤ43:4「わたしの目にはあなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している」この読み方で注意しないといけないのは、ここを「私は価値がないけれど、神は私を愛してくださっている」と読んでいないか?!そうではない。神にとってあなたは本当に価値ある存在であり、あなたをとことん愛しておられるのだ。その愛は人が見捨てても価値づけセルフイメージを高める愛!

V.その愛を示されるキリスト
 キリストの十字架は壮絶な苦しみ。その中で誰もが見捨て自分でも最低のセルフイメージの強盗犯が十字架で最高の言葉をキリストからもらった「あなたは今日私と一緒に天国に行きます」死の時でさえキリストは最高の栄誉を与えられる。
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2019年07月22日

2019年7月21日礼拝メッセージ 「どうして私をご存じなのですか」ヨハネ1章43-51節音声で聴く。

ヨハネ1:43−51   「どうして私をご存じなのですか」   19/7.21

【序】私がクリスチャンになるまでは神とは物言わぬ偶像だった…。聖書を読むようになり真の神は天地万物を造り全知全能の生きた神であり、しかも愛をもって人の過去をも作り変えて未来を祝福される神であることを知った。今日出てくるナタナエルという人物はキリストとそういう出会いをする。キリストとの出会いを通して見いだす真理についてお語りしたい。


T.キリストはいかなる人をも価値づけ役に立つ者にされる

 ナタナエルは他福音書ではバルトロマイ。このバルトロマイの意味は「バル」=息子。即ちバルトロマイとは「トロマイの息子」との意味。こんな変な名前の付け方はない→」親は何らかの理由で息子独自の名前を付けなかった(価値がない?)そんなバルトロマイがキリストに出会い12弟子の一人として召される。ここに励ましがある。人には無視されるような人物であっても、神には尊い存在であり、かつ神のお役に立つ存在になりうるということである。ちなみにナタナエルとは神の賜物との意味(伝承では、キリストが新たに名を与えられた)

 【適用】お笑い系の芸能人が反社会的勢力の営業を受け嘘をつき謝罪もしないとマスコミに叩かれ職場から解雇された。でも事実は違ったようだ…。会社から謝罪をしたらクビだと恫喝されていた。会社保身のために個人を潰しにかかっていた。何とキリストと違うことだろう。


U.キリストは人に会う前からその人の過去も未来も知っておられる

「どうして私をご存じなのですか」(48)

 不思議なことだが、人が初めて教会に来るまでに神はその人のことを知って

いるということ。【証】私の場合も教会に来るまで神に知られているとは想像さ

えしなかった。しかし教会に来て「あなた方がわたしを選んだのではない。わた

しがあなた方を選んだ」(ヨハネ15:16)を読み驚いた。すると交通事故や父の事

業の倒産のことも知って救いを与えるために教会に導かれたのだと悟った。

すると私の過去の人生の虚しさや出来事の意味が変わるという人生の変革を経

験した。→キリストはあなたのすべてを知っていて導いておられるのだ。


V.キリストは隠れた善を覚えてくださっている

「ピリポがあなたを呼ぶ前にあなたがイチジクの木の下にいるのを見た」(48)

イチジクの木の下は敬虔なユダヤ人が仕事の手を休めて日陰ができる大きな葉っぱの下に身を隠して、神に祈る場所であった。ナタナエルは日中人に隠れてひそかに真実に祈る人物であり、主イエスはその祈りの姿を知っておられた。こんな麗しい姿を知られるのは幸い!

【適用】私たちはどこで花を咲かせ、実を付けているだろうか?

外ばかりが目立つが内実の乏しい私たちではないだろうか…。ナタナエルは外ではなく内に実を結ぶ。イチジクは無花果と書くが、無いのではなく外ではなく内(実を割って見られる赤い点々が花)に花を咲かせている。そうありたい!

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2019年07月16日

2019年7月14日礼拝メッセージ 「何を求めているのですか」ヨハネ1章35-42節音声で聴く。

ヨハネ1:35−42   「何を求めているのですか」       19/7.14

【序】米国ベテル神学校にバージル・オルソン博士というユーモアのある人気者の先生がいた。いたずら坊主の少年時代、礼拝堂の中を走り回っていたが、農夫をしていた教会学校のおじさん先生に腕をむんずと掴まえられ「バージル、君は将来何になるつもりだ?」そのおじさんの声と手は神さまの声と手でもあった。神様に捉えられ献身への道となった。ひと言が人生を捕らえることがある。ヨハネとアンデレとペテロがキリストとの最初の出会いで言われた言葉がそうだった。それは私達への言葉でもある。カギになる言葉が三つある。


T.「何を求めているのですか」(38)

 この質問はキリストが解らなかったから尋ねられたのではない。神の御子キリストはご存じ。なのに、なぜ尋ねられたか?それは私たちも神に様々なことを願うが、果たしてそれが神のみ心に沿ったものかどうか疑わしい時がある。だからこそ神から「何を求めるのか」と改めて聞かれ、真に御心に沿ったものを求める事を知るためである。

【例】ソロモンの良き例(「何を願うか、言え」「民の声を聴き分ける判断力を下さい」「あなたは富も長寿も敵の命を求めず、民を導く判断力を求めた。与えよう。更に願わなかった富も誉も与えよう」。

 人の求めには、神の御心に叶う求めと、そうでない場合がある。神の御心に叶う求めは必ず与えられるし、求めなかったものまでも与えられる。

マタイ6:33「神の国と義を先ず第一に求めよ」…  


U.「来なさい。そうすればわかります」(39

 弟子達の質問は「どこに泊まられるのですか」。この質問に「この家」という場所で答えられないで→「来なさい。そうすればわかります」との応え。求道する真理は、キリストとの交わりの中でこそ得られる。

 【適用】求道するきっかけは色々あってよい。音楽だったり、英会話、イベントだったり…しかし考えて戴きたい事→キリストの十字架はあなたに関係があるのか、ないのか?!これが大切な事である。ちゃんと答えるべきなのだ。


V.「あなたはシモンです。ケパと呼びます」(42) 

 @主はシモンに会う前から名前を知っておられた→あなたとあなたの必要も!Aシモンを変える→生来の性格は情熱もあるが、気分は変わり易く非難されると弱い面がある。しかしキリストは基本は変えないでケパ(「岩」)のような強い信念と不動の強さを持つ者に変える、と言われる。

【適用】ある時尋ねられた「性格って変わりますか?」「うーん基本は変わりませんね」がっくりされたが付け加えた。「でも性格は変わらなくても、人生は変わりますよ!」→「誰が惨めと言って自分ほど惨めな者はいない(後に偉大な大統領になるリンカーン)。「自分ほど怒りっぽく、僻み屋でひねくれ者はいない」(後に慈父と言われた新渡戸稲造)変わりうるのだ!

posted by kbcc at 22:18 | TrackBack(0) | 礼拝