2019年12月29日

2019年12月29日礼拝メッセージ「主をほめたてえよ」音声で聴く。


詩篇103:1−5         「主をほめたたえよ」          19/12.29
【序】忘年会は本来、1年の労苦を忘れ、ねぎらうために始まった。しかし、今や不満大会と化し、参加したくない人が増えているという。飲食は楽しいが、嫌な事を忘れることはできない。一方、聖書は恵みを数え、恵みの与え主である神を賛美し、感謝する生き方を教えている。

T.恵みに目を留めよ
著者ダビデは、イスラエル繁栄の土台を築いた王。祝された人だから感謝するのは当然か。→否。祝福だけでなく、多くの苦難を経験した。サウルの追跡、親友の死、息子の謀反、後継者問題etc.。→愚痴をこぼすこともできたが、そうしなかった。不幸を嘆く代わりに恵みに目を留めた。
3-5節で、@罪の赦し➁病の癒やしB贖い(=救い)C恵みと憐れみD良いもの…と列挙している。
→恵みに目を留め、1つずつ数えた。苦しみに注意を向けず、主を賛美することを選んだ。
【適用】私たちは感謝より不満が多いかもしれない。しかし、人を不幸にするのは状況ではない。どんな苦しみの中にも感謝できることは必ずある。恵みに目を留め、視点を変えよう!

U.恵みは罪に勝る
過去の失敗に捕らわれ、落胆している人は多い。罪悪感を持ったままでは、賛美するのは難しい。
【例】私は中1の時、事故で入院。父に入院費を払わせ、罪悪感が強くて、感謝できなかった。
【証】Amazing Graceの作詞者ジョン・ニュートンは黒人奴隷を運ぶ船の船長だった。ある日、大嵐に会い、悔い改め、九死に一生を得る。彼は後に職を辞し、牧師になり、奴隷解放に努めた。「この身の汚れ」という歌詞には、人を蹂躙した罪深い自分が赦されたという喜びが背景にある。

ダビデも姦淫と殺人の罪を犯したが、全て赦され、祝福を受けている(8-10)。さらに驚くのは、使徒13:22-23で神がダビデを「わたしの心にかなった者」と呼び、救い主の祖とされたことだ。
御子が”ダビデの子”と呼ばれるのを神は良しとされた。→赦しが完全であることが分かる。
【適用】私たちは過ちを後悔するが、主は私たちを豊かに赦し、犯した罪を忘れて下さる。
コーリー・テン・ブーム「主は罪を深い海に投げ入れて、『釣り禁止』の看板を立てて下さる。」赦された罪を釣り上げる必要はない。恵みは罪に勝る。恵みは常に罪よりも大きい!

V.恵みを心に留めよ
今年は改元、ラグビーW杯等があった。個人的には、どんな祝福があっただろうか?ダビデは「あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは鷲のように新しくなる」と書いた(5)。→信仰者は主にあって赦しと救い、祝福が約束されている。そう信じるが故に新しくなれるの意。ダビデにとって良いものとは何か?主の選び、数々の勝利、守り、平安、赦し、救い等だろう。感謝の思いを抑えきれず、103篇の中で7回も「(主を)ほめたたえよ」と繰り返している。
【適用】今年、主はどんな良いことをして下さったろう?ダビデは「主の良くして下さった事を何一つ忘れるな」と書いた(2)。時間を取って、黙想してはどうか?主をほめたたえよう!
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2019年12月26日

2019年12月22日礼拝メッセージ「クリスマスが示す神の愛」音声で聴く。


ローマ5:8        「クリスマスが示す神の愛」         19/12.22
【序】北野武の本『新しい道徳』を読んで驚いた。聖書や神様の事が結構書かれてある。彼はこの日本で道徳を教えるのは本当に難しいと語る。神が分かりにくい国民だからだと。全宇宙を造り人間を創造した絶対者がいたら、いちいち道徳に説明は要らない。神様がそう言ったからそれは正しい、でスパッと決まる。ところが神という前提がないならば、善を勧め、悪を禁ずる事に理屈をつけなくてはならなくなる。「良い事をしたら気持ちがいいから」とか。何の前提もなしで道徳を教えるというのは至難の業だ。どうして牛は殺してもいいけど人を殺してはいけないと生徒に質問された時、どれぐらいの先生が納得できる説明が出来るだろうと書いてあった…日本でもクリスマスは大変なイベントだが、ほとんど神抜きだ。今日は、抜かしてはならない神が私達に知ってほしいと願っておられる神の愛について伝えたい。
T.神の驚くばかりの愛(人間の愛と照らして)
「私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死んでくださったことにより神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5:8) 私達罪人のために身代わりに死ぬという愛!
考えさせられた本がある→野村克也氏の著『ありがとうを言えなくて』(妻沙知代さんに対して2017)て…野村氏の家で家政婦さんが「奥様の具合が悪いです」と言われ野村氏が部屋に入って「大丈夫か?」「大丈夫よ」それが最後の言葉、救急車に運ばれている間に息を引き取った。それがこの本の執筆理由…出会いは原宿の高級中華料理店。マダムから「この方、野村監督よ」「どこの現場監督?」「プロ野球の監督!」息子に電話したら「ママ、野村監督はすごい人だよ」「わかった」と、付き合いが始まった。野村氏「二人の息子さんを紹介して」「あんまりかわいい男の子だったので孤児院から引き取ってきた」(嘘―前夫との間のハーフの息子)。「わたしコロンビア大卒なのよ」(嘘)後に嘘がばれ詰問されても「だってあんたに関係ないじゃない」こういう女性、私は無理!…野村氏が南海ホークス監督の時、家で選手のことを「さぼっている」とぼやくと、沙知代さん翌日球場に行きその選手に関係もないのに注意する。そんな事でチームの不満が爆発、成績が落ち、オーナーから「監督を取るか夫人を取るか、二者択一だ」野村氏「惚れた弱みがある」と即決妻を選ぶ(こういう女性に惚れるのかわからない)。東京に行きヤクルトに拾われた後は日本一にもなり大金持ちになったが、金銭には疎く、妻にまかせっきり。沙知代さんはそれで脱税。にも拘らず「仕事やお金はいくらでも稼げるが沙知代は世界でたった一人」普通なら愛想をつかせられる筈だが、わからない。しかしもっとわからない事がある。「キリストは私達罪人のためにいのちを捨てて下さるほど愛された」
私達の愛は、自分を愛してくれる人を愛するのが基本。或いは、相手の中にある価値の故に愛する。可愛い、ルックスが好み、優しい。お金持ち、能力…良い所を見つけて愛する。それがなくなったら情熱覚めて一緒におりたくなくなる。しかしキリストは私達が神を疎んじたり、無視したり否定したりする時でさえ、私たちを愛してくださったのだ。
【適用】ところであなたは、自分の命に代えてでも実現したいことがあるか?命に代えてでも(我々は命あっての物種)キリストにはそれがあった。それはあなたの救いのために身代わりの裁きを受けて死ぬという事!
U.なぜ神はそれほどあなたを愛するのか
それはあなたが立派だから、優秀だから、信仰が強いからという事ではない。その理由は     
神が愛だから(Tヨハネ4:8)。それが理由なのだ。God loves you. Because God is love.  聖書に悪魔が出てくるが、悪魔が真理を隠して示したいことは「神はあなたを愛していない、神はあなたに怒っている、憎んでいる、呪いの計画しかもっていない」なのだ。しかし神は愛だからあなたを愛するのだ。キリストの十字架は神があなたを愛しているというしるしなのだ。もしあなたが神の愛が分からなくなった時、キリストの十字架を見上げて戴きたい。まぎれもなく神があなたを愛しておられる動かぬ証拠である。

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2019年12月16日

2019年12月15日礼拝メッセージ「キリスト誕生の意味するもの」音声で聴く。


ルカ2:8−12        「キリスト誕生の意味するもの」      19/12.15
【序】2019年はどんな記念の年?カルピス100周年、モンチッチ45周年、サザエさん放送50周年、ドラえもん放送40周年、美空ひばり没30周年…これらは5年とか10年とかの単位で祝われる。しかしクリスマスは世界最大イベントで2千年前から毎年続いている。勿論クリスマスはキリスト誕生を記念する日というのはほとんどの人が知っているが、果たして真の意味はどうだろうか?聖書が示すキリスト誕生の三つの意味を伝えたい。

T.キリスト誕生の意味
 「今日ダビデの町で…救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(11)
「主」とは神の呼び名。世界の主権者、万物の創造者である神との意味。つまり、クリスマスはキリストの誕生日というより、神が人として生まれて下さった日である。ところで日本では「神」について確認しておく必要がある。
@日本では人間が作った神―A聖書では人間を造られた神を教えている(一字違いだが重要)
@は、人間が作ったものだから人間以上ではなく人間を救えない。更に日本では人が神として祭られるが、これが純粋な動機でない場合が多い(例)豊臣秀吉は豊国神社に祭られているが、この神社は誰が作った?明治天皇。なぜ?明治政府は徳川幕府を倒してできた政府。しかし明治の初期にはまだ徳川時代の武士が多くいて反乱を企てられる恐れがあり、それを抑えるために徳川によって滅ぼされた武士を神として祭り上げることによって反乱を抑えようとした。その筆頭が秀吉であった。つまり、人間が作った神々は作った人間が宗教を利用してこしらえたもの。
人間が作った神は人間を救えないし、更に問題がある。それ故神がどの様な方かを示すために神が人となって生まれて下さったのである。それがキリストなのだ。

U.キリスト誕生のメッセージが羊飼いに先ず伝えられた意味
羊飼いは、当時最も底辺の階層として生きた人々。彼らが感動しても関心を抱かれる事は無かったし世界に影響を及ぼす事はなかった。しかし神は人類の救いのメッセージを最も低い階層の人々に先ず伝えられた。これはどういう事?神にとって重要な人と、重要でない人の区別はないという事! 神の目にはどうでもよい人もなければ、忘れられてもよい人もいない!→「わたしの目にはあなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)
【例証】歌川たいじ監督映画「母さんが僕をどんなに嫌いでも」(2018作 次頁参照)…

V.赤子のキリストに示された「しるし」の意味
「布にくるまっていて飼い葉おけに寝ておられるみどりご」…これが「しるし」(12)
ベツレヘムに生まれた赤子は他にいた筈。だから「赤子」というだけなら印ではなく発見も難しい。だが他の赤ちゃんとは違う特別の印が二つある。「飼い葉桶」と「布にくるまっている」状態。この赤子は人の家ではなく家畜小屋の飼い葉桶の中に寝かされている。当時、家畜小屋は天然岩の洞穴を利用していた。もう一つ洞穴の利用法があった。それは埋葬用。人を埋葬するとき布にくるんで埋葬する(ラザロの例)。つまりこの赤子は生まれた時から葬りの時のように布にくるまれている。これは他の赤ちゃんとは全く違う特徴であるだからそれが「しるし」→つまりキリストは死ぬためにお生まれになった。私たちが死後受けねばならない裁きを身代わりに引き受け救いの道を開くために生まれて下さったキリストこそ救い主ですと聖書はメッセージしている。信じて戴きたい。

【例証】歌川たいじ監督映画「母さんが僕をどんなに嫌いでも」(2018作)…
この作品は監督の実話。悲惨な生い立ち。両親が工場を経営していて、夫婦仲きわめて悪く、母親(役―吉田羊)はメチャクチャ美人だが、母性本能が欠落しており、悉くガミガミ。5才の時母親は姉だけを連れて家出。捨てられ感は強い。しかしひねくれずに育ったのは親代わりに世話をしてくれた工場の優しいおばあちゃんのお陰。しかし彼が高校生の時、中退して東京の食肉解体工場に勤める。豚を捌いて血を洗うのが彼の仕事。つぶやく「どんな命も大切だっていうけど、大切にされない命もあるよ。俺は豚と一緒だ」そんな頃、優しかったおばあちゃんが末期がんであるのを知り、病院に行く。しかし枯れたようなおばあちゃんにお見舞いどころか「自分なんて豚と一緒だ、俺は豚のように覚えられずにただ死んでいくだけだ」と吐き捨てるように自虐の言葉を言うだけだった。するとおばあちゃんが言った「『僕は豚じゃない』と言って!』」躊躇っていたが強い願いに小さな声で「僕は豚じゃない」もっとはっきりそう言って!すると彼は大きな声で叫んだ「…!」。そう言いながら止まらなくなった。そして何度も叫びながら気づいた「僕はこれを言いたかったんだ!僕も人間として重んじられたかったんだ!僕も生きてきてよかったって思ってほしかったんだ」でも、ばあちゃんはどうして僕の心の中の叫びを知っていたんだろう。その叫びの後、彼の人生が立て直されていく。映画も作る。
キリストがどうして神の位を捨ててまで人となって地上に来て下さったのか?それはあなたの心の叫び、本当に人間として大切にされ重要な人としてみなされたいことを求める心の叫びを聞き取り、十字架にかかってあなたの身代わりに裁きを受けて下さるほどあなたに対する愛をあらわし、救いの人生をあなたに与えたいために生まれて下さったのだ。

posted by kbcc at 18:43 | TrackBack(0) | 礼拝